大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和57年(う)1095号 判決 1982年10月15日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中七〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人真木幸夫名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意一(事実誤認の主張)について

所論は、要するに、原判決は原判示第二の覚せい剤所持の事実につき被告人を有罪としているが、原審公判廷で証人として尋問された警察官松信要、田中正司の両名の証言は、一方で被告人が覚せい剤を逮捕現場に隠匿したのを現認したといいながら、他方で警察がおとりに使ったAが現場付近に同行されていたのを知らなかったなどと偽証していることからみて、その信用性につき重大な疑問を抱かせるにもかかわらず、これを信用して被告人を有罪とした点で事実を誤認したものであり、右誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで検討すると、原判決が挙示する関係各証拠を総合すれば、原判示第二の事実は優にこれを肯認することができる。

すなわち、後記おとり捜査の違法の主張と関連するので、本件で被告人を検挙した前後の事情を含めて検討すると、次のとおりの事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

一、立川警察署捜査係官は昭和五六年一〇月一三日、覚せい剤約四・八グラム所持の容疑でAを現行犯逮捕し、以後同人を取調べて覚せい剤の入手経路を追及していたところ、同人は右覚せい剤は同年九月二四日頃、池袋にある住吉連合池田会所属の、木村組の三崎という男から買受けた旨自供し、また三崎からは前年の夏頃から四、五回、一回に約一〇グラムの覚せい剤を買受けていて、その取引方法は四のつく日に木村組の事務所に電話すると、相手と連絡がついて池袋付近の場所と時間を指定され、そこで落ち合って取引していたと供述した。

二、そこで右Aを取調べていた平井直次係長が、右の話はうそではないだろうなとAに念を押すと、同人は自分に電話させてみれば本当かうそかわかると言うので、平井係長は試してみることにし、同年一〇月二四日午後五時頃、立川署付近の食堂から、Aに前記木村組の事務所に電話をかけさせてみた。すると折返し電話で応答があって、Aが覚せい剤五〇グラムほどほしいと言ったのに対し、相手がこれに応ずる旨答え、同日午後九時から一〇時の間に以前と同じ所(Aの供述によると池袋の豊島郵便局前の電話ボックス付近)で取引することとなった。

三、右状況を知った平井係長は、Aの関連被疑事実である覚せい剤買受けの場所の引当り捜査を行なうとともに、右電話による相手方が現われた場合に、覚せい剤事犯の容疑で検挙することもあると予想し、捜査員五名とともにAを同行して右豊島郵便局前付近に赴き、約三〇分間現場引当りをしたうえ、午後八時四五分頃からAを同所電話ボックス内に入れ、警察官らは付近に隠れて張り込みを実施していた。

四、すると午後一〇時五分頃、一見やくざ風と見られる被告人が、右電話ボックスのある大通りに通ずる、原判示公団アパートと国際興業バス駐車場の間の一方通行道路を池袋駅方向から歩いてきたのを、右駐車場の塀の裏で張り込み中の松信要巡査部長と田中正司巡査が発見し、その挙動を注視していたところ、被告人は大通りに出る手前の公団アパート西側の袋小路に一旦入り、上衣のポケットから何かを取り出し、路端の草むらの中に隠匿したのを右松信・田中がともに現認した。そして、被告人はまた一方通行道路に出て大通りの方に向ったので、松信らはAの電話による相手が現われて、覚せい剤を同所に隠したのではないかと考え、松信は田中に右草むらの方の監視を続けさせ、自からは大通りの方に被告人を追跡して行った。

五、すると被告人は大通りの歩道に出て、左右に二、三歩行ったり来たりしたが、前記電話ボックス内にいたAがこれを見てボックスから出て、「三崎さん」と声をかけて近づこうとすると、急いで一方通行道路に戻って行ったので、他の警察官らがAを引き戻して車に入れている間に、松信が被告人を追跡し、前記袋小路の入口の所で立ち止っていた被告人に、「今、そこに何か隠しただろう」と言って職務質問を開始した。

六、右質問に対し、被告人は「知らん」と否定の態度をとったが、松信は応援に来た田中に命じて前記草むらの中に隠された物を確かめさせ、これを取り出して白い紙袋の中に覚せい剤らしい白色結晶入りのビニール小袋五個があるのを右両名で確認し、被告人にこれは何だと言って紙袋の中を見させたうえ、覚せい剤所持の現行犯人としてその場で被告人を逮捕した。その際松信らは被告人に覚せい剤の外袋や中袋を見せはしたが手はふれさせはせず、直ちにハンカチに包んで平井係長に渡して押収の手続をとった。

以上のように認められる。

所論は、前記松信・田中の両名が原審公判での証言中で、Aが当時現場付近に同行されていたことにつき、これを知らなかった旨供述している点で偽証をしていることを強調し、被告人が本件覚せい剤を現場に隠匿するのを現認したという右両名の供述には信用性がないというのであるが、《証拠省略》によると、右松信・田中がAの現場同行の件につき供述を回避したのは、当時Aの妻や兄に対し、前記池田会の者から脅迫的な電話があったりしていたため、Aやその家族の身辺を心配してのことであったと認められるから、その点が偽証であったとしても、その故をもって被告人の隠匿行為を現認したという供述部分まで、信用性がないとするのは相当でない。右両名の当該現認についての供述部分は、いずれも極めて具体的であって相互に合致しているうえ、指紋検査の結果覚せい剤の入っていた紙袋から、被告人の指絞付着が認められたことも、右両名の供述の信用性を裏づけるものである。これに反し、被告人の右指紋付着についての弁解は、捜査段階と公判段階とで大きく矛盾していて、到底これを信用することができない。

以上の事実によると、被告人が本件覚せい剤を所持していたことは明白であって、これを認定した原判決にはなんら事実の誤認はないから、論旨は理由がない。

控訴趣意二(法令適用の誤り、または法令解釈の誤りの主張)について

(一)  所論は、前記覚せい剤所持の件で被告人を検挙した捜査方法は、いわゆるおとり捜査の典型的なものであり、警察官が被疑者として勾留中のAをおとりに使って、これまでにない大量の覚せい剤の取引を申し込み、あえて被告人にその犯意を惹起させていながら、被告人のみに刑事責任を負わせることは、憲法三一条、一四条に違反する不公正な手続であるから、本件公訴は刑訴法三三八条四号により公訴棄却すべきであったのに、これをしなかった原判決には右刑訴法の規定の解釈ないしは適用を誤った違法がある、というのである。

そこで検討すると、本件覚せい剤所持事件の捜査の経過は前記認定のとおりであり、所論のように被告人がいわゆるおとり捜査により検挙されたことは否定し難いが、《証拠省略》によると、被告人はAに対し以前にも四、五回、本件直前にはその一か月前に一回、本件の場合と同様の方法で一〇グラム単位の覚せい剤の取引(被告人からAへの有償の譲り渡し)をしていたことが認められるのであり、以前から覚せい剤を密売のため所持することを反覆的、継続的に行なっていたと推認され、今回の場合もAの譲り受けの申し込みは、覚せい剤所持の犯意のなかった者にその犯意を誘発させたというのではなくかねてからよい客があれば覚せい剤を売ろうとして所持の犯意を有していた者に、その現実化及び対外的行動化の機会を与えたに過ぎないというべきである。

また前認定のような捜査方法の当否については、覚せい剤の弊害が大きく、その密売ルートの検挙の必要性が高いのに、検挙は通常「物」が存在しないと困難である実情にも鑑みると、立川署の捜査員が取調べ中のAの自発的申し出に基き、Aの供述の裏づけをとる一方で、Aとつながる密売ルートの相手方の検挙の端緒を得ようとしたことは当該状況下においては捜査上必要な措置であったと認められ、これが公訴提起手続を無効にするほど、適正手続等の条項に違反した、違法ないしは著しく不当な捜査方法であったとは認められない。

よって原判決が刑訴法三三八条四号を適用して、本件公訴を棄却しなかったのは相当であって、この点の論旨は理由がない。

(二)  また所論は、原判決が訴訟費用を全部被告人に負担させたことにつき、おとり捜査の件で偽証をした松信・田中両証人の分や、右偽証がなければ必要がなかった平井証人の分まで負担させた点で、刑訴法一八一条の解釈ないしは適用を誤った違法があを、というのである。

しかし、右松信・田中両名が偽証したのは前説示のとおりの事情によるものであり、その証言中の一部についての事柄に過ぎず、被告人の本件覚せい剤隠匿について現認した状況が証言の主体を占めていて、これはもとより被告人の有罪立証に必要なものであり、平井証人の取調についても、被告人が本件覚せい剤所持をあくまで争うので、松信・田中の上司として本件捜査の全体的視野から見た状況を明らかにするために必要であったと認められるから、所論の各証人に支給した分を被告人に負担させた原判決にはなんら違法な点はなく、この点の論旨も理由がない。

(三)  また所論は、原判決が原審の未決勾留日数中九〇日を本刑に算入した点について、原審の審理に長期間を要したのはもっぱら検察官側の事情によるもので、本来ならば一か月程度で審理できるはずであったのに、わずか九〇日しか算入しなかったのは恣意的で、刑法二一条の解釈及び適用を誤っている、というのである。

しかし、本件の原審における審理状況を見ると、追起訴された恐喝未遂事件の併合審理も含め、全七回の公判期日中、冒頭手続と論告・弁論が行なわれたのが各一回、証人尋問または書証の取調べがあったのが四回、被告人質問があったのが一回となっていて、開廷間隔もさほど長くはなく、所論のように一か月程度ですむはずのものが不当に延引したとは認められないし、本件のような否認事件では、相当日数が審理のために必要的であったと見られるところ、起訴当日から判決言渡の前日まで一八八日の未決勾留日数中、九〇日を本刑に算入した原裁判所の措置が、その合理的裁量の範囲を逸脱したものとは認められないから、この点の論旨も理由がない。

控訴趣意三(量刑不当の主張)について

所論は、要するに、原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

そこで検討すると、本件のうち第一の恐喝未遂の件は、被告人が京都府峰山町に在住の頃、世話になっていた地元の暴力団員が、酒席でのトラブルを種に相手方を刃物で脅迫するなどして四〇〇万円を喝取しようとした事件に、被告人が共犯者として加担したというものであり、第二の覚せい剤所持の件は、所持した量が五〇グラムに近い多量であって、しかも被告人は第一の犯行後逃亡し、その後覚せい剤密売につながる暴力団組織に身を託していて、Aと本件以前から覚せい剤の取引を反覆していた形跡があること、前科も原判決が累犯として判示しているほか、窃盗一件があること等に徴すると、被告人の罪責は重いといわなければならない。

してみると、覚せい剤所持がいわゆるおとり捜査により検挙されたこと等、所論指摘の被告人のために酌むべき諸事情を斟酌しても、原判決が被告人を懲役三年に処したのは相当であって、これが重過ぎて不当であるとはいえないから、論旨は理由がない。

よって、所論はすべて理由がないから、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条により当審における未決勾留日数中七〇日を原判決の刑に算入し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 和田保 新田誠志)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例